【点字をつくって暗闇に光をもたらした偉人の名言】
1月4日生まれ:
(1809~1852年 フランス)
私たちを弱いものだと思う必要も、同情をする必要もありません。
ルイ・ブライユ
私たちは対等に扱われたいのです。

友人: ルイ・ブライユさん、200年以上前にフランスの小さな村で生まれたって効いたことがあるけれど、父さんは馬具を作る職人で、家の近くに仕事場があったんだよね?



ルイ・ブライユ: そうだよ。子供の頃、父さんの仕事場で遊ぶのが大好きだったんだ。でも、3歳の時に事故でキリが目に刺さってしまって、左目が見えなくなったんだ。その後、右目にも感染が広がって、両目とも見えなくなっちゃったんだ。



友人: それは大変だったね。でも、目が見えなくなっても勉強は続けたんだよね?



ルイ・ブライユ: そうなんだ。村の牧師さんや学校の先生たちが私に勉強を教えてくれたんだ。新しい知識を学ぶのはすごく楽しかったんだ。世界の不思議に驚きながら、ますます多くのことを知りたいと思うようになったんだ。家族に頼んで本を読んでもらって、知識をどんどん吸収していったんだよ。



友人: その様子を見た先生が、パリの盲学校に推薦してくれたんだよね。その学校では点字が使われていたって聞いたけど、点字を使って文字を読むのは時間がかかるって言われてたよね。



ルイ・ブライユ: そうなんだ。盲学校では、凸凹した点の組み合わせでアルファベットを表す点字が使われてたんだ。でも、それを読むのには時間がかかってたんだ。それで、もっと簡単で速く読める方法はないか考えていたんだ。



友人: それで、ルイさんが独自に点字の方法を思いついたんだよね。点の組み合わせでアルファベットを表す方法を考え出したんだって?



ルイ・ブライユ: そうなんだ。一生懸命考えているうちに、個々の点の組み合わせでアルファベットを表す方法を思いついたんだ。それが点字なんだ。点字を作り上げることで、目の不自由な人たちの世界を一気に広げることができたんだよ。



友人: すごい発見だね!点字ができたことで、目の不自由な人たちも文字を読んだり、情報を共有したりできるようになったんだね。



ルイ・ブライユ: そうなんだ。点字は大きな革新だったと思うよ。それ以降、目の不自由な人たちは自分たちの思いや知識を文字で表現することができるようになり、世界とのつながりが広がったんだ。



友人: 本当に素晴らしい功績だね。ルイさんの努力と創造力が、多くの人々の生活を変えたんだよ。



ルイ・ブライユ: ありがとう。点字は私の生涯の大きな成果だと思ってる。私自身も、自分の制約を乗り越えて、知識を広めることができたから、とても嬉しいんだ。点字が目の不自由な人たちの自立と教育の手段となっていることを知ると、さらに喜びが増えるんだよ。
ルイ・ブライユの知っていると自慢できる背景
ルイ・ブライユ(1809年1月4日 – 1852年1月6日)はフランスの盲人教師。アルファベットを6つの点の組み合わせで表す点字(6点点字、シックス・ポイント点字、ブライユ点字、ブライユ式点字などと言われる)を発明した。
パリの北東約40km、イル=ド=フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ県のキュブレ村で、馬具職人の父シモンと馬具職人の母モニクの間に4人兄弟の末っ子として生まれる。
1812年、3歳の時、自宅のシモンの工房で遊んでいたところ、誤って左目を錐で刺し、負傷した。その後、右目にも交感神経性眼症を発症し、5歳で両目を失明した。
1800年代初頭の当時、ブライルのような障害を持つ子どもは教育の必要がないとされ、不当な扱いを受けることがほとんどだった。しかし、家族の助けもあり、ブライユは生活技術や知識を身につけ、7歳になると、村の学校長であったアントワーヌ・ベクレの計らいでパルイ神父から村の学校に通わされ、そこで他の生徒と同じように授業を受け、優秀な成績を収めたという。
ブライユの学校での成績と「自分のために読み書きをしたい」という彼の思いのため、また、彼にはより高いレベルの教育が必要だと感じた他の人々の助けもあり、村の侯爵はヴァランタン・アユイが設立したパリの王立盲学校(フランス語版)への入学を推薦する手紙を送った。これが受け入れられ、1819年、ブライユは奨学生として入学することができた。
1819年、10歳のブライユはパリの王立盲学校に入学した。同じ頃、フランス軍の軍人であったシャルル・バルビエ(フランス語版)が発明したソノグラフィー(フランス語版)と呼ばれる12ポイントの暗号(夜文字、暗文字という)に出会うことになる。これを基にブライユは6点点字を考案した。ブライユはパリ盲学校を卒業し、同校の教官となる。王立盲学校はセーヌ川沿いにあり、建物はもともと刑務所として使われていた。学校は古く、湿気が多く、不衛生で、100人近い生徒の健康状態も悪かった。
ブライユが王立盲学校の学生であった頃、先程記載した通り、バルビエは夜間のメッセージに使われるソノグラフィー(フランス語版)と呼ばれる12ポイントの暗号(夜間文字、暗黒文字)を考え出し、普及させようとした。バルビエは、ソノグラフィが視覚障害者にとって有益であると考え、王立盲学校を訪れたが、当時の校長はソノグラフィを採用しなかった。その後、校長が変わり、1821年に盲学校で12ポイントの点字を試験的に使用することがようやく決まった。
それ以前の視覚障害者の印刷は、画板と呼ばれる粗い板の上に紙を置き、先の尖ったもので左右反転した文字を書いていたが、この方法では視覚障害者が自分で上手に字を書くことは非常に難しかった。
ブライユは、アルファベットを表すには6つの点で十分であり、その方がはるかに読みやすいと考え、この方法を改良し、現在の6点式点字(横2点×縦3点)を考案した。その後、楽譜や数式の書き方も定義し、これが世界中で使われる点字となった。
晩年、彼は盲学校で教鞭をとるかたわら、教会でパイプオルガンを弾いていた。晩年、盲学校で教えるかたわら、教会でパイプオルガンを演奏した。ブライユの盲目の友人であったピエール=フランソワ・ヴィクトル・フーコーは、後にラフィグラフ(英語版)として知られるようになるユニークな手法の機械を開発した。この方法はタイプライターの普及とともに廃れ、現在では使われていない。
ブライユは1852年、肺結核のため43歳で亡くなった。没後100年にあたる1952年、彼の遺骨は故郷キュヴレからパリに移され、ヴィクトル・ユーゴーやエミール・ゾラなど多くの国民的英雄を祀るパンテオンに埋葬された。
キュブレ村のルイ・ブライユ通り13番地にあるブライユの生家は、ブライユ博物館として一般公開されており、世界中の視覚障害者が訪れ、視覚障害者に光をもたらしたブライユの遺産を偲んでいる。
多くの国で、ブライユは彼の名前にちなんで「ブライユ」(仏:Braille、英:Braille)と呼ばれている。彼の誕生日である1月4日は、2000年に世界盲人連合によって「世界点字デー」に制定された。
小惑星(9969)にブライユという名前の惑星があるが、これはこのブライユにちなんで命名されたという。